36章 ガンにかかり、1番辛かった味覚障害〜愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ〜

こんばんは!









前回の振り返りとして
ガン寛解後の治療は月一度の通院と
週3回の薬を半年間飲み続ける事だけで
禁止事項は半年間海鮮系や生ものの我慢。

経験してみると案外大した事ないが
経験をする前は自分で勝手に”辛さ”や
”苦しさ”を拡げてしまっていた。

この事から百聞は一見にしかずだと
改めて学ぶ事となった。








それでは続けます!








上記のようにガンの治療自体は
自分が想像していたよりずっと楽で
やはり自分で経験してみないと分からない
と思ったのですが、逆に想像よりも
キツかったのが抗ガン剤、放射線
副作用による味覚障害でした。








実際、味覚障害になる前は
担当医に「副作用によっては味覚障害
出る可能性があります。」と言われてました。









しかし私としては「味が感じないのなら
あんまり食べ物食べなくなって逆に
痩せるじゃん」と馬鹿みたいに楽観的
だったので味覚障害になってみて
味を感じれない事の辛さを改めて
感じました。








味覚障害もなってみないと分からないと
思いますが色んな食べ物が全部同じ味
(グレープフルーツの後に残る苦味)に
感じる辛さは想像以上に辛かったです。








これまでいかに自分が何気なく食事を
取ってきたのか、これまでいかに食材
それぞれの味を意識する事なく
口に運んでいたか等、後悔が襲いましたが
後悔した時にはすでに遅いという現実だけが
残りました。








かの有名なビスマルクの名言に

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

とありますがまさしく私は
味覚障害の辛さを軽く見て
歴史から学ばず、経験をしてみて
苦しさをが分かった時には味覚を
感じないという愚か者でした。(汗)








後悔が始まると人間色んな事を
思い出すもので、戦争を経験した祖母から
「食べれる事に感謝しなさい。」と
言われた時にちゃんと言う事を聞くべき
だったとか両親に「米粒は一粒も残すな」
と言われて意味もわからず怒られるのが
嫌でとりあえず従っていたなとか。








祖母は戦争を経験→食べられない辛さを知る

両親は働いてお金を稼ぐ大変さを感じる
→そのお金で食べれる事の喜びを知る

当時の私は恵まれた環境で
食べ物など困った事がない
→出されたものに何にも感じずただ食べる








書くのを躊躇うくらい横暴で
この時の自分を見つけたら叱りつけたい
くらいですがそのくらい日常の有り難みに
気付かない、”慣れ”が生じていました。(汗)








だから味覚障害になって食べられない、
美味しく感じれない辛さを経験して
良かったと思います!








治療の副作用という予期せぬ形で
突然味が感じなくなったことで
「食べれない辛さはこれか」と感じたり
「食べたいと強烈に感じる欲求
こういう気持ちなんだ。」と未知なる
世界を知る事ができたのは人生の中で
大きなプラスです!








そしてその感情や欲求が溢れかえった時
私は味覚の復活を求めて研究に
至ったわけです!








実際に研究で味覚障害が治った
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長くなりましたので次回治療終了後
1ヶ月後に味覚障害がどうなったか
書きたいと思います!








経験から学び、時すでに遅かったと
後悔したことはありませんか?








最初から誤りを避けるため
他人の歴史から学ぶ事が出来ていますか?








それでは!