学生のがん闘病日記〜たくさんの方々に支えられて〜

身体は拘束されていますが精神は自由です(笑)

味覚障害を通して感じて気付いた食べる事の有り難さ〜当たり前という悪い習慣を切り離す〜

こんにちは、今日のブログを更新します!





今日は味覚障害にかかったことによる

食べる事のありがたさについて

書きたいと思います!





なぜこのことについて書くかと言いますと

味覚障害を経験したことで

普段食事をする時、美味しく食べれる事は

本当に幸せだなと思う事が多いからです!





味覚障害にかかる前は1日3食取ることが

当たり前で実家暮らしの時などは

母親が作ってくれた物に対して

いただきます、ごちそうさまでしたなどの

感謝の気持ちもなく、悪い意味で

習慣化している部分がありました!





大学に入った後、自炊を始めて

親のありがたみが分かったのですが

それはご飯を作る事が大変だという

ありがたみであり、結局面倒くさい時は

外食したりしていました!





外食をしすぎるとお金がかかるので

お金を稼いでいる両親に改めて

感謝を感じます!





とりあえずその事は置いておいて

基本的に日本で生きているかぎり、

アジア、アフリカの他の国の方などと

比べて食べるものがないなどの極度な

貧困に落ちる事が少ないと思います!





私自身の家庭も決して貧困ではないので

食べる物がないという貧困が故の飢えに

苦しんだ事はなく、しっかり親に

育てて頂き、改めて感謝したいのですが

味覚障害にかかった時は食べる物があるのに

食べる事が出来ないという精神的な飢えに

苦しみました!





この事に関しては味覚障害を

経験した事がある方にしか分からないと

思いますが、食べ物を買う経済的な

余裕がある中で食べれるのですが

食べると苦味しか感じない→口に物を

入れたくなくなる→お腹は空く→

もしかしたら味覚障害は良くなっているかも

と味覚障害を受け入れられず淡い期待を

抱き食べてみる→苦味しか感じない





こんな感じでお金もあり、食べるものも

選択出来る日本という国、「普通」に

暮らしていける稼ぎがある親の下に生まれ、

それまで何不自由なく過ごしてきたのに

味覚障害にかかり、精神的な飢えに

苦しむとは思いませんでした!笑





特に味覚障害で辛かった事は

今まで食べていた物の味のイメージと

実際に食べて苦味しか感じないという

味覚のギャップです!





物を食べる時、昔の記憶をたどってある程度

こんな味がするだろうなと無意識下で

脳が判断して物を食べてのかとこの時

何となく理解したのですが!




少し感覚の話をしたので

具体的に話すと例えばマクドナルドの

ポテトを食べるとして、マクドナルドの

ポテトを食べた事があり、再度食べる場合熱々の塩味が効いた細いポテトを

イメージして食べるのですが

塩味の部分が苦味に変わってしまっていると

いう気持ち悪さ!笑 

 




これが本当にしんどかったです、

自分の思い通りに感じない気持ち悪さや

憤りというものを味覚障害を通して

初めて知りました!





この食べれる環境でありながら

食べれないという精神的な飢えを

経験したからこそ味覚障害が少しずつ

改善された時、例えば自分の場合

塩焼きの魚や肉、塩味の鍋などは

少しずつ食べれた時の幸せの感情が

半端じゃなかったこと!





味覚障害が1番酷かった時は

飲料水ですら苦く、唾液も苦かった為

物を口に入れたくなく、点滴をうって

もらってたこともあったので

物が少しでも食べれる事の喜び!





この喜びを感じるとまず美味しく

食べる事の喜びが凄いです!





そして食べる物を選り好みしなくなるという

ある意味精神的なハングリーさが

身についた事!





これも貧困の苦しみなどに

あまり縁のない国、日本で生まれ、

「普通」の家庭に生まれた私の場合ですが

以前は食事を取る時に好き嫌いなどをして

基本的に自分の好きな物である、

味の濃ゆい料理、肉料理など

偏ったものをひたすら食べるという

我儘な生活を送っていました!






しかし味覚障害を経験して、物が少しずつ

食べれるようになった時、味を感じる事が

出来れば、既に幸せなので

食べ物の選り好みがなくなりました!





味覚障害が少し治り、塩味が食べれる

だが塩味以外苦く感じるという状況で

2週間くらい塩味を食べ続けても

飽きることなくむしろ幸せでした!





以前の私の場合だと2週間も

塩味の物を取ることなど出来ないですし

むしろその前に自分から選り好み

してしまってたと思いますが

味覚障害を経験したことで

幸せの尺度が変わったのだと思います!





前は自分の好きな物、有名店のご飯など

好みのものを食べた時、知名度が高く

世間一般で美味しいとされているものを

食べた時に美味しいと意識して、

普段の家庭の食事は食べる事が当たり前で

食べれる事の感謝とても薄かったです!





もちろん味覚障害が治った今も

好きな物を食べる事、有名店のご飯などを

食べるととてつもない幸せを感じますが

普段の食事にもとてつもない幸せを

感じる事が出来るようになったので

幸せの尺度の幅が広がったという点では

味覚障害にかかって良かったです!




私自身テレビやその他情報ツール

アジアやアフリカでの貧困問題について

見た時にある程度の自由がある環境に

産まれたことに感謝しますが

ある程度経つと当たり前を大事にしない

元の習慣に戻ります!





なぜ永続的に貧困などの当事者意識を

持てないのかというとやはり経験した事が

ないからだと思います!





この日本という国に産まれて

私自身がある程度自由な環境に

身を置いていた為、アフリカやアジアの

貧困の本物の恐怖を感じた事がなく

どこかで他人事と感じていたため

結局当たり前というありがたさに気付けない





その意味で味覚障害という

精神的な経験が出来て、

当たり前に感謝出来るという

幸せの尺度を広げれたので

良かったと思っています!




そういう意味で経験を積み

幸せの尺度を広げ、「当たり前」という

悪い習慣を自分で切り離したいと思います!





長くなりましたが味覚障害にかかったことに

よる食べることの有り難さについてでした!





それでは!